陰陽論から五行説への展開

陰陽論と五行説はそれぞれ別々に発生し、発達した後、中国の戦国末~前漢初期頃(紀元前200年頃)から、このふたつは結合して「陰陽五行」として統一し、発展してきました。

五行説とは、「木(もく)」「火(か)」「土(ど)」「金(ごん)」「水(すい)」で表現される象徴システムのことです。すなわち、5つの要素で森羅万象すべての物事を説明するという哲学です。

今回は、陰陽論から五行へと発展させ、陰陽五行の基本的な考え方をまとめていきます。

「ふたつのもの」では説明しにくい世の中

世の中を理解するための基本はあくまで”陰陽”という「ふたつもの」でできますが、「ふたつ」だけでは説明しにくいものがあります。

(「ふたつのもの」の考え方は以下を参照してください。)

「季節」を例にとってみると、冬は究極の寒いなので「陰」、夏は究極の暑いなので「陽」になります。しかし、その間の春と秋があり、陰陽のふたつだけでは「半分陽」とか「半分陰」という表現を使うしかありません。

「空間」についても、上と下があって、右と左があって、それぞれが陰陽になっていますが、右上とか左下といったとき、「半分陰陽」としか表現できません。

このように、私たちが生活するうえでは、「ふたつのもの」だけでは説明しにくく、その結果「ふたつ」から「4つのもの」として分けて考えられるようになりました。そうすれば、季節の春や秋も説明しやすくなります。そして、「4つのもの」に名前が付けられたのです。

「4つのもの」の名前と「5つめ」

この「4つのもの」には、それぞれ 「木(もく)」「火(か)」「金(ごん)」「水(すい)」 という記号(象徴)があてられました。こうして、ありとあらゆるものを象徴として表現することができるようになりました。

先ほどの季節ならば、春を「木」、夏を「火」、秋を「金」、冬を「水」、

方角ならば、東を「木」、南を「火」、西を「金」、北を「水」

としたのです。

さらに、「4つのもの」を考えたとき、ここには“中心”が存在します。見ている場所の情報、つまり”中心”がなければ、方角は決められないのです。そのため、この真ん中を「土(ど)」と表すことになりました。「土」は、方角では中心とされますが、陰陽に分かれる前の大本、すなわち太極(太乙)とも言える部分です。詳しくは別の機会にまとめますが、全体のことを表現するときに「土」を使います。例えば、人間の身体全体は「土」です。

こうして、「ふたつ」のものが「4つ」になり、「5つ」となりました。この「5つ」のことを「五行(ごぎょう)」といいます。そして、陰陽論とあわせて「陰陽五行」という学問体系が構成されることになったのです。

人体の臓器の陰陽五行

ここで「陰陽論」のまとめでも登場した、臓器について「五行」を当てはめてみると次のようになります。

五行
五臓肝臓心臓脾臓肺臓腎臓
五腑胆嚢小腸大腸膀胱

「臓」と「腑」の陰陽に、それぞれ五行が配当されました。つまり、陰陽五行で表現されたのです。(五行を当てはめた表のことを「五行の配当表」といいます。)

このように、すべての物事に配当され、そしてその関係性までみることができるのが陰陽五行です

なぜ、このように配当されるのか、それを理解するためには、それぞれの記号の意味を知り、理解する必要があります。それこそが、陰陽五行という象徴体系の醍醐味です。

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